親日家が多いトルコという国 トルコの旅再び 3

二回目のトルコツアーも、トルコの方たちにはとても親切にしていただきました。

トルコ人のガイドさんが
「なぜトルコは親日家が多いのか」ということの話から
トルコの歴史の教科書に載っているというエルトゥールル号遭難事件の抜粋を翻訳して
バスの中で読んでくださったのが、とても心に残りました。

今やご存知の方も多いと思うのですが、一応記録しておきます。

こういう事件です。

明治時代、トルコ(オスマン帝国)の軍艦が明治天皇に拝謁したのち、船の修理や食糧の調達、乗員にコレラが流行って帰国が遅れたため、
「今は台風の季節だからもう少し待ったら」
と日本側は引き留めたけれど、
それ以上長居はできないということで、出航してしまいました。

その後和歌山県沖で台風の直撃を受け、
エルトゥールル号は老朽船だったということもあり、座礁し沈没。

600名以上の乗員が海に投げ出されてしまったのです。

岸に流れ着いた乗員が船の沈没を伝え、
現在の串本の住民が村総出で危険を冒して、台風の荒れ狂う海での救出にあたりました。

そして、引き上げられたトルコの人たちを裸になって人肌で温め、69名が一命をとりとめ、ご遺体は丁寧に埋葬しました。

当時串本は寒村だった故
食料の備蓄が十分ではありませんでしたが、
非常食のサツマイモから何からかき集めてもてなし、
ついには食料が尽きてしまい、飼っていた鶏もつぶしてもてなしをしたと言います。

明治天皇もこのことを知り、
遭難した人たちを日本の軍艦で本国まで丁寧に送り届け、

あるいは日本中から義援金が集められ、
記念碑が建ったり亡くなった遺族の方への弔慰金も送られたとのこと。

この事件の後、
日露戦争で日本がロシアに勝つと、
ロシアから度重なる圧迫を受けていたトルコの人たちはさらに日本に対して敬意と親近感を持つようになり、

ついにはトルコの歴史の教科書に載るようになったのです。

現在トルコのお年寄りから若い人まで教科書からこの遭難事件を皆さんよく知っていて、トルコは特別にアジアでも対日感情がいい国として知られています。

イラン・イラク戦争の折サダム・フセインが
「今から48時間過ぎたら、本国の上空を飛ぶ飛行機は無条件で撃ち落とす」
と宣言しました。

多くの国が自国民の救援の飛行機を飛ばす中で、
日本は救援機の手配が遅れ、
日航は「帰りの安全が保障されていないので、飛行機は出せない」
と救援機を出すことを拒否。

テヘランには邦人200人余が取り残され、
パニックになっている中、その救出に向かったのはトルコ航空だったそうです。

「友達が困っていたら助けるのが当たり前だ」といって、飛行機を増便。

イランに取り残されていた日本人全員を残らず飛行機に乗せ、テヘランを飛びだったのは、予告されていたタイムリミット1時間半前。

文字通り、命の危険を冒して救出して下さったのです。

ちなみに
陸路で脱出できる自国民よりも日本人の救出を優先したため、
飛行機に乗れなかったトルコ人500人は陸路自動車でイランを脱出することとなりました。

あるいは、3・11の時にも南三陸にたくさんの救援物資とお医者さんを派遣してくれたり、ずっと日本を大切にしてくれているのです。
本当の友情というのは、
このように損得抜きで相手の為に汗をかくことなんだろうなーと教えられました。

日本はトルコから見たら極東の島国ですが、こんなふうに大切に思ってくれている親日国を旅することができて、本当に感謝な旅となりました。